※タイトルに深い意味は全くないです。
うらやむ
〔「心(うら)病む」の意という〕他人が自分より恵まれていたり、優れていたりするのを見て、自分もそうなりたいと願う。また、自分が他人ほど恵まれていないことを不満に思う。
ねたむ
他人の幸福や長所がうらやましくて、憎らしいと思う。ねたましく思う。
「仲間の出世を―・む」
突然ですが、この二つの違いをえぐってみたいと思う。
本題前に横道に逸れますが、「かわいさ余って憎さ100倍」っていう慣用句の出典が気になって探したけど見つからない。100倍とかなんか現代語っぽい響きですよね。少なくとも明治ぐらいからしか使わなさそうな気がする。初出は手塚漫画、とか言われても納得してしまいそうw
横道終了。
羨むも妬むも、自分よりも他人が何かについて恵まれていて、それをいいなーって思うところまでは一緒なんですよね。
羨む方は、それに比べて自分は…って自分を思って悲しくなる。
妬む方は、それに加えてちきしょーあいつなんか…って相手が憎くなる。
羨むから発展して妬みになる感じ?
羨んだ時に発生したマイナス感情を自分の中で溜めるのか、対象にぶつけるのかの違いになるのかなぁ。
それは、その羨んだモノが自分では入手可能かどうかによってまたちょっと変わってくると思った。
例えば「あいつ装備いいなー」とかなった場合、
自分でもがんばれば手に入ると思える装備だとしたら、よーしがんばって自分もゲットするぞーと次の行動力へ変換できる場合がある。
それがどんなにレアでも現実的に考えれば無理そうでも、自分で実現できると信じさえすればOKな訳ですよ。
逆に無理だし、手に入らないし、と思った場合は、あれ絶対チートだし。BANされれば良いのに。とか思っちゃうかもしれない。
入手が難しいもの程、妬みに発展する可能性が高い感じかな。
しかし余りにかけ離れている時、例えば「ビルゲイツ金持ちでいいなーと」思ってもそこから「MS潰れろ」とかはあんまり考えない。
そこはもう手放しで「あこがれ」になるんだろうね。
他人を妬んでしまって自分がイヤになる事もないとは言えない。
自分もそうなれる可能性があるんだってところに目を向ければいいかもしれない。でもどうがんばっても無理なものもあるんだよね。時間とか命とか。
あの娘の若さが妬ましいいいいい、とかはもうどうしょうもないんだww
もう毒リンゴでも食わせるしかないんだよ。
そうやって対象を無くしてしまうことで解決を図ろうとするんだね。
憧れになるか妬みになるかってところがポイントなのかも。
とりあえずここまでで一旦終了。